怪我の功名
知人「貴方がもし、毎日使ってる喘息の薬を全部やめられたら、私も前を向くわ。(どうせできないわよ)」
僕「わかった!」
──半年後
僕「禁煙してアホほど運動しまくって食生活見直して、薬を一切使わず半年経ったよ!!」
知人「私は貴方みたいに強くないから無理よ」
僕「(ぇえぇぇええぇぇ………)」
ということが、昔あった。
人は、自分で自分の価値観をまるっと変えようとしない限り、他人がどれだけ身を以て示しても何を与えても、きっかけにはなり得れど、根本的には変われないんだってことを学んだ経験。
ただ、主観的に、本当に見返りを求めずにやったことだけは、全て自分のプラスになっていると、後から気付く。
仕事も、恋愛も、趣味も。
お節介や想いを、相手が受け取ったかどうかや、望む結果になったかどうかは、あまり関係ないように思う。
利益を求めずに必死になった、その時のことだけは、記憶に残るというより、充実していた実感として残る。
推測だけど、死ぬ時に経験する走馬灯というのは、そういうシーンの積み重ねなのかもしれないな、と思う。
それを行動に移さずためらう人生だと、よく聞く「あの時にこうしていれば…」という後悔ばかりの最期になるのかな、と。
ありがた迷惑や、小さな親切大きなお世話もあるかもしれない。自分からも人からも。
だけど、自分の幸せを願ってくれる人の気持ちだけは、蔑ろにしないようにしたいと、今は思う。
自分を愛せてないと、受け取り方もヘタクソになっちゃうから。