梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。

悪意と失敗に対する目眩

 

みんなそうだと思ってたんだけど、どうやらこれもマイノリティらしい。

僕以外の、周りの多動やASD(アスペルガー)気質の人にも多く共通してるから、何かしら関係あるんだろう。

 

明らかに何か悪意や敵意、刃を向けられた時や、それに繋がりかねない失敗を自分がした時、する可能性がある時など、激しい目眩がする。

 

目眩というか、もはや気絶寸前になる。

殴られたり叩かれたりした直接的な痛みより、もう、脳がどうにかなってそうな吐き気と目眩の方が強烈で、危険を感じる。

 

視界の周りからチカチカと星が降ってきて、視界全体が青くなってく。

血の気が引いて全身が冷たくなってく。

痺れて触覚がなくなる。

あれが続くと「電車の脱線事故を目撃しただけでショック死した少女」みたいに、完全に意識消失するし、命の危険を感じるほど。

 

どうしてこうなるのかいろいろ考えてみたら、どうやら恐怖とかよりも、人の敵意や悪意っていうものは「かなり根が深い」という事を理解しているから、それを変えるには途方もない労力や時間が必要だ……と無意識に感じるからっぽい。

文字通り「気が遠くなる」というやつ。

 

だけど現実的にそれが起こってる状況で、長いスパンで考えることは許されず、表面的に繕って切り抜けるしかなく、刹那的には「根本解決法のない問題」に直面してる状態と言える。

 

解決できないのに避けられない問題を押し付けられたり、考える時間を与えられないのが、とても苦手。 暴力じゃん。

アスペルガーが全員同じ捉え方かは知らないけど。

 

こちらに悪意が全くないのに、敵意を向けてくるということは、そもそもその人自身の自己肯定感が低くて感情をコントロールできてないからで、本人も幸せなわけないんだよ。

誰も幸せにならない行為なんだよ。

 

その事実が哀しくて哀しくて、問題の根が深すぎて、相手の生きてきた境遇に対しても同情するし不憫に思うし、かと言ってニコニコしながら攻撃を受け続けるわけにいかないし、そこで論破したらしたで相手の精神が壊れて死んじゃうかもしれないし───というようなことを、「考える前に考えてる」みたいな。

 

みんながみんなを大切にし合う、という本質的な考えというか、価値観というか、命というか、うーーん……なんと表現していいかわからんけど、考えるより先に、それが当然で自然で、人類のあるべき姿でしょって前提?で生きてる感じ。

幼児期からなんの疑問も持ってないし、その感覚は変わらないんだよね。

 

だから、同種の個体同士が、命に関わらないことで敵意を剥き出しにして攻撃をし合う、みたいなその惨状が、この世の終わりにさえ思えてくるのかも。

命の価値を忘れた人間に、絶望を感じるのかも。

 

本当に3歳くらいからその感覚は変わってないから、理屈じゃないと思うんだ。

大人になるにつれ、その感覚を伝えようとすると理屈っぽくなってしまうんだけれど。

 

言葉で表現できない尊大な価値が、命とか心にはあって、それは否定とか肯定とか、人間の理解や意識とかの範疇を遥かに超えていて、ほとんど誰もそれに気付いてなかったり、忘れ去ってる。

 

僕らは確かに存在する大きな法則の下に生きていて、100%抗えない。

自分の意識だけで心臓は止められないってことだけ考えても、簡単にわかること。

 

 

簡単にわかることだらけなのに、誰も考えようともせず、自分の機嫌を自分で取れずに敵意や悪意を他者に向けて、そうして他者を消費することで埋まらない穴を埋めようとしている。

「あいつのせいで」も「あいつのために」も、どちらも消費だし、責任転嫁だし、他力本願なんだ。

 

そういう「どうしようもなさ」と、それでも「みんなが幸せな状態」を目指したい・維持したい思いと、現実的に磨耗していく心身という三つ巴が、思考能力のキャパをオーバーして脳をシャットダウンさせようとするんだろうという結論に落ち着いた。

 

泣いたまま、怒ったまま、倒れたまま、放置されていい人なんて1人も居ないから。

愛されない人が、愛せない人になってくわけだし。

 

生きるって、むつかしい。