梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。

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愛がほしい?

 

 

 

そこら中に愛は溢れてるけど、多くの人はそれを認めなかったり受け入れなくて、欲しいのはそれじゃないとばかりに不満や愚痴を溢す。

 

‪そういう人が他人に求めてるのは愛じゃなくて、自己肯定感。‬

自分で自分を認める、許す、愛すること。

 

‪自分で自分を肯定することを自分以外に求めても、すでに矛盾してるから、そりゃザルでスッカスカで、自分で肯定できるようになるまでずっと、すぐ虚しくなる。苦しくなる。不安になる。

 

 

 

まずは辞書で引く

 

愛の意味を辞書で引くと、

大切にすること

とある。

 

大切の意味を辞書で引くと、

価値ある物を丁寧に扱うこと

とある。

 

生き物の絶対的な唯一無二の価値は、紛れもなく疑いもなく命そのものであり、個体の自我そのものであり、それを丁寧に扱うというのは、壊さないようにするということ。

 

命を壊さないようにすることが愛。

存在させ続けることが愛。

つまり、命が生存してるだけで、れっきとした愛なんだよ。

 

 

 

愛の大小

 

存在させ続けるのが愛、その大前提の元、より良く存在させ続けようとする、たくさんの愛がある。

 

生きてること、生かそうとすること、喜ばせようとすること、苦しみを和らげようとすること、もっとラクをさせてあげよう、もっと便利にしていこう、その全ての「心」が愛であり善であり、行為・形として実行することが愛するということなんだよ。

つまり、結果は問わない

 

例えば、ビルから落ちようとする人が居て、慌てて止めようと駆け寄ったら、それに驚いて足を踏み外して落ちてしまった…こういう場合、止める方法が間違っていただけで、危ないから止めたいという心と実行したことにはなんの間違いもない。紛れもない愛。愛したんです。

法律でも、白です。

そもそも落ちようとしてたのが問題で、そこまで苦しんでた理由、苦しめた人や環境が、何より悪なんだ。

 

結果が伴わなくても、実を結ばなくても、愛は愛なんだよ。

 

 

  

愛ではないこと

 

そして一方で大切なことと言えば、

「苦しませること」の全てが悪だということ。

 

悪は、冒頭の自己肯定感が欠けることによってのみ生まれる。

嫉妬、渇望、羨望、憎悪。

暴力、暴言、詐欺、隠蔽。

 

そして、また誰かの自己肯定感が失われて、無限の負の連鎖になってる。

 

それは別に他人に対してだけじゃない。

自分に対してもだよ。

自分の命も苦しめちゃならない。

どんなに難病や大病を患ったり大ケガで激痛に見舞われても、命ってのは意思とはほぼ無関係に死に立ち向かう。是が非でも生きようとする。

ただ、心が苦しむと死に向かってしまう。

だから、命のために、心も苦しめちゃならない。

 

穏やかに、幸せを感じられるように、避けられる苦しみは避けて、生き延びる。生き続ける。

それが何より尊い。正しい。賢い。偉い。

 

 

 

有と無

 

あなたの目で見えるもの、聴こえる音、嗅ぐ匂い、体に触れるものも飲み食いで取り込むものも、感じることも、全ての存在自体が誰かの、何かの愛によって存在してる。愛がないと最初から存在すらしない。
着てる服も、食べる物も水も電気も、家電も、日用品やスマホやPCも。

 

そして、命も。

……それはセックスによって産まれるという意味ではなく、文字通り、存在=愛そのものなんですよ、ということ。

 

産まれてすぐ亡くなってしまう赤ん坊の命だって、最後の最後まで全力で生きようとする。例外はないどころか、純粋な分、大人以上に諦めない。

 

そして忘れちゃならないのは、存在してる・存在させられてる・存在していた時点で永遠に「無」になることがない。二度と。

オカルト的な話ではなく、水が蒸発しても、その分子も原子も消滅することがないように、形は変われど物質は永遠に存在し続ける。

物質として以外にも、記憶としても、事実としても、永遠に無くならない。

誰が覚えてなかろうが記録がなかろうが、証明できなかろうが、真実は永遠に変わらない。

 

与えられた命の時間の長さがどうであれ、それは不変なんだ。

 

いまこの瞬間、そこに「有る・居る」という事の不思議な必然。選ばれし存在。

(偶然を証明できない以上、存在は必然しかない)

 

これらの真実を実感することが、自己肯定なんだよ。

産まれただけで、生きるだけで百点満点、大前提で大成功、大幸福。

 

命は他人も自分も、はたまた人間であるかどうかも、関係ない。

 

「でも家畜を屠殺して食べてるよね」って人も居るだろうけど、命で命を繋ぐために、たくさんの種を増やして、絶やさず、愛して活かし生かす、等価交換なんだ。

食品ロス問題は人間のエゴだけどね。

 

生きるため以外の目的で自分達や他の命を苦しみに向かわせる人間は、本当に悪だよ。

それでも、悪も結局は「悪の被害者」だから。動機や理由がなければ悪には染まらないから。

 

 

自己溺愛

 

心理学用語で自己愛(narcissism)という言葉があるけど、これは皮肉にも自分で自分をちゃんと愛せない特徴なんだ。

だから人に執着・依存して空洞や空白を埋めようとするけど、冒頭で言った通り、スッカスカ。焼け石に水。

 

だから、やっぱり自己溺愛しないと。

存在に感謝、存在を称賛、存在に歓喜

 

精神的、肉体的に、しんどいこと苦しいこと、物理的にどうしても解決し得ない問題、本当につらいと思う。

でも、あなたの意思とは無関係に、体は生きようとしてる。愛されてる。自分の命に。運に。世界に。人に。

 

たった一人の自分を、自分で愛する、大切にすることは、恥ずかしくもおかしくもないしワガママでも非常識でもないし、なんならそんなの全宇宙共通の当たり前であるべきなんだよ。

いくらでも代わりの利く問題で、宇宙中探しても代わりの居ないあなたが苦しむなんて、割に合わないんだよ。

※例えクローンでも自我は別なはず。

 

自分をちゃんと愛せる人が、自分以外も愛せるんだよ。命や心を大切にできるんだよ。価値を知ってるってことだから。

 

やりたいことを、やりたいだけ、やりたい時にやって、何もしたくないなら、ただただ生きる。生きるんだ。

誰もやりたくないことは、誰もやらなければいい。

「誰かがやらないと…」って、生きてく上で必要に迫られたらみんな自分でやる。

 

 

 

個人目線でも、人類目線でも、1秒スパンでも1万年スパンでも、それがベストなんだよ。

命の価値に気付かないうちは、裕福さも便利さも進化も発展も、ぜーんぶ茶番なんだから。

 

 

 

 

 

※前回のエントリーで言ってた「絶対と相対」の話はまだ執筆途中。真剣に書いてる。