幸せを拒む人々
「あなたが最高に幸せになるにはどうしたら良いか」の話で、なぜか僕の話になること自体、論点ズレてて困る。
「失う可能性のある(相対的な)幸せ」の話をしてるんじゃなくて、「100%揺るがない(絶対的な)幸せ」の話をしてる。
それはあなたが自己肯定を極めるか否かのみに懸かってるよってのが、なかなか伝わらん。
説得力や信ぴょう性とか、そういう次元の話じゃなくて、100%のことしか話してないのに、否定してきたり論拠を求めてきたり。
人に対して高圧的な態度でマウント取って悦に浸ってるうちは、心が乏しいし惨めだし苦しいはずなんだけど。
怒ったらエネルギー使うし、それで産まれるものって愛情や信頼の喪失だし、なんで怒ってるんですか?って単純に疑問。
何か目的があって、手段として怒りが最善の方法になるケースであれば仕方ないけど、今のところあまり思いつかない。
怒りや暴力が最善の方法になるケースは、正当防衛の時だけ。しかも復讐じゃなくて、まさに自分が相手の怒りや暴力に直面して被害を受けるかどうかの、まさにその瞬間の正当防衛。
それ以外で、それらを手段にするのは不適切で、不適格で、不適当。
まして目的にするのは、破滅を望んでるとしか言いようがない。
否定するのは否定だけでいい。
あとは肯定だらけにすればみんな幸せパラダイス。
僕的には、自己肯定を極めることすら第1ステップだと捉えてるんだけど、そのステップすら伝えられなくて、もどかしい。
自己肯定を極めれば、自然に他者肯定できるようになる。
でも、他者肯定を極めると、世の中の大きな大きな闇が見えて、その問題の巨大さに気が遠くなりそうになる。
なにせ、人間の幸せとは逆行してるから。
他者を肯定できるようになればなるほど、自己否定する人の多さに気付く。
潜在的に自己存在を肯定できてない人の多さに、人類そのものの危機を覚える。
だから、その逆風に負けずに、自分も人も肯定し続ける戦いは続く。
否定や抑圧は、100%破滅に繋がってる。
人類にとって破滅していいのは人類の存在否定だけだ。
だから、自分の絶対的価値を知って、それをまず愛する。
目指すべき境地。
今すぐ1秒で出来ることなのに、みんなしないのは、教育という刷り込みと洗脳が濃すぎるから。
気付いてほしいなぁ。
一人ひとりの存在の尊さに。