梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。アトペルガーくんの手記。

後悔しない生き方

 

全てが変わり続けていることだけは変わらない。

……なんというか、時空間が存在してる時点で諸行無常は不変だよ、みたいな。

 

形状的、位置的に、全てがめまぐるしく変わり続けてるという真理だけが何も変わらない、という言葉遊び。

 

 

「自分が変われば周りが変わる」という常套句、この言葉の真意を理解して使ってる人間はあまり居ない。

 

───「自分は変わらなくてもいい、変わってもいい、自由なんだ」と、そう悟り気付くことが、変わるということ。‬

これは、とても難しい。簡単そうで、一番難しい。

どんな頭脳明晰でも、例え世界的な科学者でも医師でも政治家でも弁護士でも、難しい。

幾万の出会いの中で、これに気付いてる人は10人と居なかった。

 

社会と書いて仕組みと読むような、構造化された集団生活に完全に溶け込んで馴染んで疑問を抱かない人ほど、相対と絶対の違いに気付けないみたい。

 

人に‪愛されるか憎まれるかなんて、結局は自分ではなくその「人」の一存100%。‬

仏を憎み悪魔を愛する人も居るくらいだし。

 

‪「周りに変わってもらうために自分を変える努力をする」……とどのつまり、周囲への願望を動機にしてしまった時点で‬、努力の是非のジャッジをその「変わってほしい対象」に委ねてしまっている。

 

適正なジャッジをしてくれるような、善意ある対象にそもそも「変わってほしい」と思うだろうか。

 

「誰か・何か」を理由にした努力が報われる可能性は限りなく低い。

意味は見出すものだから、無意味と思えば無価値になってしまう。それじゃあ努力した自分が不憫だろうから、せめて学習したという価値を付与したほうがいい。

 

後悔しない生き方はたった1つで、

「自分がそうしたいからする。結果が報われるかどうかはどうでもいい。」

という内発的動機だけで生きること。

それ以外に後悔のない生き方は存在しない。

 

誰かのためとか、嫌われたくないとか、怒られたくないとか、面倒に巻き込まれたくないとか、自分しかいないとか、それって他力本願と責任転嫁だから。

 

動機を自分以外に設定すること自体、もう全てが虚像で、結果が伴わなかった時に憎悪や嫉妬、羨望や後悔、罪悪感や劣等感、自己嫌悪が心の中に渦巻いて、それはそれは悲惨な未来になる。

 

動機を自分の「したいから」オンリーにして、いまこの瞬間に自分がどうすれば幸せを感じるかを考えて実行する。

その果てなき繰り返しの流れが、最良の人生を作る。

 

時間は点ではなく線。

プロセスや結果なんて、人間が勝手にごちゃごちゃ節目やターニングポイントを付けたがるだけで、もともとそんなもんはない。

人は産まれながら平均25億秒を与えられる。

強いて言うなれば、1秒という節目が25億回あると考えればいい。

 

 

この瞬間の感情の蓄積が、即ち人生となる。