どうして人は傷付くのか
何をどう反論されようが、精神における“傷付く原因”(理由ではない)ってのは、100%傷付く本人にある。
「傷付いた人」の行く先は暴力と加害。
しかも被害者ぶった加害者という、一番始末に負えないパターン。
要はクレーマーとメンヘラ。
傷付くかどうかは100%自由なのに、わざわざその対象に執着して「傷付いた傷付いた」と連呼し続ける人まで居る。
どうして傷付くのかは、自己肯定感を養えなかった教育ミス。
だから本人に責任はない。
ゆえに、タチが悪い。
傷付く人や不満が多い人は、自分自身をまるで愛せてない。
自分を愛せてないと、何を手に入れても何を与えられても、どんなに優しくされてもどんなに愛されても、決して満たされることがない。
その「満たされなさ」が精神の痛みになって「傷付く」ことになる。
そもそも自分が自分を否定してるから、人に指でつつかれただけで致命傷を負う。
その弱さを隠すために、自分を大きく見せよう、強く見せようとする。
人への接し方が横柄な割に粘着質な人ってけっこう居るけど、そういう人ほど臆病で、孤独で、ビクビクして、権力や肩書きというステータスにこだわって縋って利用して、常にマウントを取ろうとする。
そういう人は、自分を愛せてないことを認めない限り、一生、人に求めて人を責めて攻撃して地団駄踏んで、根無し草で不幸を抱えて生きることになる。
忘れてしまった「自分という存在の尊さ」に気付き直すのは、とても難しいことだけど、揺るがない幸福感を得るためには最善かつマストな方法なんだ。