梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。

子どもの反抗期=大人のエゴ

 

 

僕の持論で「抑圧は後の爆発」というのがあるんだけど、もう毎日毎日、触れる情報がほとんど「規制と抑圧」ばかりで、イヤになってくるね。

 

焼け石に水、イタチごっこ、トカゲの尻尾切り、臭いものに蓋をする……こんなことばっっっかり!

 

そもそも石を焼くなよ、イタチを仕留めろよ、トカゲを捕らえろよ、臭いもの処分しろよ……と。

 

犯罪者を懲らしめるのもいいけど、それぞれの動機によってなぜその犯行に及ぶのかってのを理解して改善しないと、一生犯罪なんか減らんよ。

 

人は、心が満たされていれば他者や自分を攻撃することはないんだよ。

 

満たされていないのはなぜかと考えたら、それはもう100%、愛が欠乏してるからなんだよ。

 

貧困や病苦から生まれる欲望や絶望で、突発的に起こる殺人や自殺を始めとした犯罪だって、本人の周りに、たった数人の愛ある人間が居れば防げることなんだよ。

 

受験や就活に悩んで、生きる意味を見失う子達に対してもそう。

 

競争に勝たせるために周りの大人は必死になって勉強(という名の興味ない知識の詰め込み)を強要して、さらには子どもの息抜きのためのささやかな趣味すら奪ったりする。

 

「子どもの幸せや安全を考えて云々」って理由をつけてヒステリック起こす大人も居るけど、たとえ我が子であっても一人の人間の思考や感情や未来を決め付けるのは暴力。

 

家族や血縁という縛りが、余計に問題を深刻化させてる側面もあるよね。

 

他人を、相対的な自分の意に沿わそうとする人間って、どれだけ自分が偉いと思ってるんだろう。

 

この世に偉い人間なんて居ないし、苦労の押し売りに繋がるような「苦労の正当化」なんて滅びるべきだし、本当に思考の浅い人間ばかりで、イヤになってくる。

 

こういったことを踏まえて思うのは、子どもの反抗期というのは、言葉こそ「反抗」という穏やかでない表現だけど、名称自体にもう「子どもを思い通りにしたい大人のエゴ」を感じる。

詰まる所の本当の意味は「そのエゴに反抗する」っていう皮肉なんだよ。

 

「誰の操り人形にもならない」という、ごくごく当然の権利を主張してるだけなんだよ。反抗期の彼らこそが、人として一番正常な状態だとさえ思う。

 

それに、子どもは親の鏡だから、反抗期を経験するかしないかの違いは、結局は親が子を抑圧してるか否かに尽きる。

 

誰も死にたくて死ぬわけじゃないのと同じように、産まれる国や時代はおろか、産まれること自体も自分の意志で選択できないんだから、人間は誰しも自由に生きられないと辻褄が合わないし、「産まれることを強制した親」は、死ぬまで子どもを全力で喜んで愛して生かすのが筋なんだよ。

 

「産んでやって育ててやってるんだから感謝を〜」とかってケースもあるらしいけど、自分らが勝手に恋愛してセックスして勝手に子ども作って産んだ結果なのに、能動側が受動側によくもそんな勘違い甚だしい責任転嫁な発言できるなぁ、と呆れるよ。

 

そんな恩着せがましい人間を、誰が敬って感謝するんだろうね。

感謝や尊敬というのは、誰に頼まれずとも求められずとも、内発的で、湧き上がってきてどうしても止められない感情なんだよ。

 

正しく愛してれば、イヤでも感謝されるし愛が返ってくる。

 

それを、命に比べたらなんの価値もない競争にムリヤリ駆り立てて、心が幸せを感じることは全部抑圧して、しんどい思いして競争に勝つことだけが至高なんて思い込みを、ギュウギュウ押し付けて、不幸の巻き添えにするのは本当にやめてあげてほしい。

食品ロスについて考えれば、どれだけ愚かな社会的風潮かなんて、すぐわかるのに。

 

人生は「たった今感じてることの積み重ね」だから、イヤな気持ちや苦しい気持ちを感じる時間なんて1秒でも増えられたら困るしもったいないよ。

 

ただでさえ生老病死からは絶対に免れられないんだから、物理的に避けられる苦しさはどんどん避けていい。

 

そして、相手が家族だろうが偉い(と言われてる)人だろうが「思い通りにならないと一方的に攻撃してくる人達」には、どんどん「反抗・無視・逃避・反撃・防衛」しないと。

 

それでダメなら、早々に絶縁。たとえ家族でも。親でも子どもでも。

「苦しみ」を軽く見るのは、それが自分であっても、エゴだから。

 

これに限らず、どんな時でも、逃げる体力だけは、尽きないように気をつけたいね。