梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。

真面目な人ほどしんどい

 

1999年、とあるロックバンドが金字塔を打ち立てた。

幕張メッセでの単独公演で史上初の20万人動員した伝説のロックバンド「GLAY」。

その記録は2017年の今も塗り替えられてない。

 

当時キッズだった自分も、その社会現象の渦に身を投じてた。

 

1999年の20万人ライブの前に行われた「pure soulのドームツアー」の一部始終を、NHKが追ったドキュメンタリー番組があり、幕張の数ヶ月前に放送された。

キッズだった僕はそれを食い入るように観ていた記憶がある。

 

ビデオテープに録画して、画質が劣化するまで繰り返し観ていた。

 

先日、YouTubeでたまたまその番組を見つけた。違法アップロードだからリンクは載せられないけど、とても懐かしかった。

GLAY 奇跡と栄光の向こうに…」という番組名。

 

当時観ていた時から、ボーカルのTERUさんがインタビュー受けてるシーンがとても印象的だった。

 

その発言の内容は、当時のあの方々の年齢を超えた今の自分が聞くと、より一層胸に響いたし、考えさせられた。その一つが、

 

「100人いたら100人とも考えや意見が違って、できるだけ一人ひとりと向き合いたいと思う」

 

という旨のもの。

 

この頃は、まだ携帯電話もインターネットもそこまで普及していなくて、大人でも持ってない人の方が多かったと思う。

 

今で言うところの2chのようなBBS(掲示板)というものが、ネット上の主な交流方法だった。

 

今のように、一瞬で手元のスマホでアプリを起動して、アカウントさえあったらサクサク……なんてワケにはいかず、PC本体は岩石のようにデカイわホームページの読み込みは遅いわコンテンツはチープだわ、それ以前にネットの利用料自体が従量制でどんどんお金かかるわ、ひいき目に見ても自由とは程遠いネットの世界だった。

 

それでも、「マイノリティでクローズドな世界」の中でみんなが「自分の好きなものだけを求めて集まる」ような時代だったと思う。

 

逆に言えば「好きじゃないものがあまり目に入らない、避けやすい時代」だったのかなぁとも思う。

 

それでもやっぱり、音楽なら違うバンドのファン同士の争いもあったし、過激なファンも居たから、ただ表面化しにくかっただけなのかもしれない。

 

そんな、もう15年以上も前にGLAYのTERUさんが放った先ほどの言葉は、今の時代にも共通してる本質的な言葉だと思う。

 

TERUさんが、現代で、心ない人の言葉に悩んでインスタグラムのアカウントを消したのは記憶に新しく、思い出して改めて胸が苦しくなった。

 

20年近くも変わらない想いで、姿勢で、一人ひとりの声に耳を傾けて、ライブでは絶対に後ろの人まで楽しませる事に重点を置いてきた方々。

 

めちゃくちゃ優しいしめちゃくちゃ強いし、本当に思慮深いと思うんです。

 

だからこそ、たった一人の発する心ない言葉にも真剣に向き合って、落ち込んでしまう。

何十万人というファンが居て、味方が居ても、それだけ言葉の槍の破壊力というのは凄まじいものなんだと、改めて思った。

 

───ドキュメンタリーで、TERUさんはこんな言葉も仰ってました。

 

「たとえ運命が最初から全部決まっているものだとしても、『自分で切り拓いてきたんだ』と言えるような生き方がしたい」

 

 

やりたいこと、やる意味、価値、そういうことがわからないだけでも不安な人生だから、なるべく人に苦しめられないように、人を苦しめないように、自分を苦しめないように、自分にも人にも「固定観念」を押し付けないように、自分の心が穏やかで居られるように、愛して愛されて生きられる人生が、いいよね。