梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。

幸せを決めない幸せ

 

 

 

先日、ツイッターのTLにて、プロゲーマーである梅原大吾さん(通称ウメハラ氏)が、慶應丸の内シティキャンパス内で講義をなさった時の動画が共有されているのをお見かけした。

公式チャンネルで動画が上がっているので、下記に貼り付けさせて頂く。

少々長いけれど内容はそちらをご覧頂くとして、僕はこの動画を拝見して、とても込み上げるものがあった。

 


ウメハラ「BeasTV」17/1/19 - 一日ひとつだけ強くなる 慶應丸の内シティキャンパス講演

 

講演の中で梅原さんは、
周囲の期待には自分のやり方で応えるよ
という旨を仰っている。

 

かいつまんで説明させて頂くと、ずっと周りの人間のモノサシ(価値や基準)で自分の人生や幸せを測られてきて、自分が得意な事や好きな事をいつしか否定してしまっていた。その周りのモノサシに合わせよう、周りが望む自分になろうと、期待に応えようと努めて生きた期間があった、と。


その生き方で、客観的に見れば「結果」と呼ばれるものを残し、境遇・環境もそのモノサシで測れば申し分のない時もあった、と。
では自分の心、感情はどうだったかと言えば、何も満たされていなかった。充実も、成長も、いわゆる「生きがい」を感じられず、とてもつまらない と思っていた、と。

 

このお話は、梅原さんという、社会的に見てある種の「成功」を収めた人が言うから正しいというわけではなく、人として、人間という生き物としての本質を説いて下さってるんだと思った。


どんなに裕福でも貧乏でも、どんなに健康でも病弱でも、人間関係に恵まれていても孤独でも、周りが羨望の眼差しを向けていても見下していても、 結局は本人の今この瞬間の感情・心はどうなんだと、今あなたは、僕は、私は、どんな気持ちなのか、何を感じているのか、それが人生の全てなんだ 。

 

もしこれを読むあなたが1年間、毎日悲しい気持ちで過ごしたとしたら、一生のうちの1年は「悲しかった人生」として確定する。もう変わらない。


「変えたいと思う過去」ではなく「変わらなくてもいいと思える過去」にするには、今、自分が苦痛を感じているとしたら、そこからなんとかして離れないといけない。それは、物理的なことだけでなく、本当に自分がやっている事で自分が満たされていて、今後も満たされ続ける事なのかを、常に自問自答する事なんだ。

 

それを考える上で必要になってくるのは、やっぱり「自分が何を幸福と感じるのか」を改めて追求していくことなんだけれど、ここで大きな勘違いをしてしまう人が多い気がする。

 

 

未来に幸せはない


「将来◯◯になったら(◯◯を得たら)幸せです」という考え方。これは、要は自分の幸せを決め付けているという事で、とても危険が伴っている。
しばしば「人の幸せを決め付けるな」とは聞くけど、この「人の」というのは、他人だけじゃなく、自分も含めた言葉なんだ。

 

目標を立ててそれに向かって爆進していくのは、とても尊い。でも、動画内で梅原さんが仰るように、その手段を取って、その目標に辿り着く事やプロセス全てに、自分が幸せを感じていないと、長続きしないんだ。飽きたり、意味を見失う。


この日、この時、この瞬間も、疑う事なく自分が「やりたいようにやっている」と思えなければ、ある意味、無責任なんだ。
語弊を恐れずに言うと「誰かに言われたから」「誰かのために」という言葉はどちらも、責任転嫁と他力本願でしかないんだ。

 

 

 

不可能は可能になりにくく、可能はすぐに不可能になる

 

長続きしないだけならまだ良い。もし仮に、何らかの事情で、その「達成すれば幸せになれる」と信じてやまない目標がどうしても達成できなくなった時、あなたは何を感じるだろう。事故や病気、誰かとの死別なんて、カレンダーには書いてない。スケジュール帳にも書いてない。iPhoneのリマインダーにも書いてないしsiriも教えてくれない。ある日突然、あっけないほどに簡単に、可能は不可能になる。


我慢して、耐え忍んで、色んなことを犠牲にしてきたプロセスを、胸を張って価値ある幸せな人生だったと言えるのかな。
目標を達成できなかった自分を、愛せるんだろうか。
そう考えると、やっぱり人の幸せのみならず、自分の幸せも自分で決め付けるべきではないと、強く思う。

 

自分をムリヤリ納得させたり、言い聞かせているのなら、それは周りがあなたに「勝手な幸せ」を押し付けているのと全く同じ事を、自分が自分にしてしまってるんだよ。

 

自分の生きたいように生きるというのは、誰がなんと言おうと、決して逃げではないよ。誰かのために何かのために労力や金や時間をたくさん注いでも、未来の自分への責任なんて誰も背負ってくれないし、ほとんどの場合は見返りも何もない。
ひどい時は、忍耐や苦労の先には死が待っているんだから。

 

自分の人生に四六時中、一生、責任を持てるのは自分だけなんだ。だから「生きたいように生きる」「やりたいようにやる」というのは、一見、悠々自適に見えて、実は一番自分の人生に責任を持ってる生き方で、自分が一番笑顔になれる事で、引いてはそれが何よりの人のためになるんだよ。
心と身体の健康があればこそ、人を喜ばせたりラクをさせたりできるんだよ。

 

例えその生き方が、社会的に見てどれだけレールから外れ、クズと罵られ、甘えだとか自己中だとか中傷されようと、「じゃあ誰か責任持ってくれるんですか、幸せにしてくれるんですか、どうやってこの心を満たしてくれるんですか」という話なんだ。

 

いいんだよ、好きに生きて。それを否定してくる人は、親や友や恋人であっても離れた方がいい。あなたが笑顔になれる事を否定してくる人間なんて、あなたの人生に不幸しか運んでこない。

 

 

 

愛や平和を嫌う人達

 

ここまで書いた事は、このブログの名前である「梵我一如の先」に通じていて、全人類…いや全生命共通であろう哲学の、一部分の話なんだけれど、なんしか情報が溢れまくっていて多様化が急速に進む現代では、その輪郭が時々ブレてしまう。


どれだけ強い意思を固めても、集団心理や、先祖から末裔まで続く刷り込み…村八分の足の引っ張り合いな社会風潮は強く、心を持ったタダの人間だからこそ、悪意や偽善に押しつぶされそうになる時もある。

日本だからというわけではなく、大昔から世界では、本質に近付けば近付くほど虐げられ抹殺されるという歴史が繰り返されてるからね。みんなが笑顔で幸せになるのを快く思わない人達、言い換えると「加害者=かつて負の連鎖に歪まされた被害者達」がたくさん居て、彼らも、人のモノサシで自分を測ってしまっているんだよ。

 

だから、僕自身もいろんな芸術に触れたり愛や人に注目したりして、頻繁にそのブレを戻す事が大切で、今回の梅原さんの動画はまさに、輪郭にフォーカスし、鮮明にしてくださった。

 

僕のような社会的ど底辺どクズが、あのお方にお会いする事も関わる事もないとは思うけれど、素晴らしい講義に感謝します。そして、何より誰よりご自身と向き合い続けているお姿に、心から敬礼・賛辞を送ります。

 

 

 

余談

 

僕は格闘ゲーム苦手。SNK2を少しやってたけど、地元でそこそこ上手な友人と100回戦って1回くらいしか勝てた事がないほど下手。
DQやFFのようなRPGMEGAMANDMCのようなアクションの方が得意で好き。(そんな情報いらんか)


読破ありがとう。