梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。

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名言は先生

 

謹賀新年。

 

三が日も明けたということで、今年の抱負と共に一年を生き始める方々も多いと思う。

 

そして360日後あたりに、一年を振り返った時、目標通りに過ごせた人、なかなかそうはいかなかった人、そもそもどんな目標立てたっけ(笑)な人も居たり。

 

徹頭徹尾、首尾一貫という言葉があるけど、なかなかどうして難しい。

目標自体は覚えてるんだけども、意志が移ろいやすくて…なんて具合に。

単純に表現すると「ブレやすい」ということ。

 

そんなブレやすい理由は、自分の中に確固たる芯がまだないから。芯を作るのに「勉強したり勇気を出して挑戦しよう」なんて言う人も居るかもしれないけど、頭が良かろうが多趣味だろうが、ブレブレな人は居るからあまり関係ない。

自信とか勇気なんてものは必要なくて、何より必要なのは情報取捨選択能力

 

じょーほーしゅしゃせんたくのうりょく

……漢字が並びすぎて何かの必殺技ぽいけど、要は、情報が正しいかどうか、自分が求めてる情報にピッタリ合ってるかどうかを、見極める力。

 

その力を養うには、数々の名言が非常に適している。

ただ、普通に名言を読んでそれを人生に反映……なんて錆び付いた方法ではなく、名言に刃向かっていこうというもの。

 

 

 

 

‪人を変えるより自分を変えろ

過去を変えるより未来を変えろ

自分は自分以外になれない変われない。

未来もここには無いから変えられない。

 

冬は必ず春となる

冬も温かい国もある。

 

夜明け前が一番暗い

日が沈まない国もある。

 

成功した人は皆努力している

努力してるかは本人にしかわからないし、本人が努力と思ってないケースもある。

 

失敗は成功の素

成功の素は学習。

 

若いうちの苦労は買ってでもしろ

若いとは何歳までか。苦労とは何か。

誰にも「不幸の押し売り」をする権利はないし買って得する保証はない。

 

辛いことを乗り越える度に優しくなれる

歪む人多数。

 

 

 

 

 

───よく聞く名言。

 

名言によって人生が変わる人は確かに居ると思う。自己啓発系の書籍やセミナーとまでは行かなくても、根強く語り継がれている名言に触れる機会は、生きているだけでとても多い。

 

だけど、名言を額面通り(言葉のまんま)に捉えた時、必ずしも自分にマッチしておらず、その通りに生きようとしても、どうしても自分のネガの部分が大きかったり日々の生活で生じるトラブルが複雑だったり、矛盾していたりでうまく活かせず、ただ共感して頷いておしまい…というケースがほとんどだと思う。ただの美辞麗句として。

 

そうなってしまうのは理由がある。

大半の表現が抽象的・相対的だから。

 

情報というのは、限りなく真実でないとならない。

そして限りなく具体的で、シンプルで、簡潔で、絶対的でないとならない。

 

「べき主義」というわけではないけど、何のために情報が存在するかを突き詰めると、真実性にこそ意義がある。

 

本当に心の底から人生における何某かの答えを渇望した時に、触れた情報が曖昧だと、疑問だけが残り、何も変わらないか、手遅れになって余計に苦しんだりする。

 

現実…つまり自分の人生に置き換えた時に、この人には当てはまってあの人には当てはまらないというのは、どこまで掘り下げても相対的で、移ろいやすく、ブレやすい。

 

名言に使われている言葉のみならず、日々の中で目にし、耳にする言葉はほとんどが抽象的。曖昧。不確実。

 

ただ、裏を返せば、これだけ無限の情報が溢れ返っていても、真に求める絶対的な情報というのは極々僅かしかないということ。

 

その僅かなストライクに照準を合わせて情報を探すことが、時短で、確実で、有限の人生において重要なこと。

自分の芯を作るということ。

 

その練習として、名言は打ってつけ。

「名言」は、社会的に名声のある人間が、少ない言葉数で何かを言わんとしているものがほとんどで、故に判断しやすい。

 

額面通りにサラッと読み流す前に、具体的にたくさんの人生に当てはめて、その絶対性を確かめる意識を持つことで、少しずつブレない自分になっていけるし、いざという時に答えに最短ルートで辿り着ける可能性が高くなる。

 

目標達成に必要なこと、そうでないものが見えてくる。

 

あなたの一年が、抱負通りになることを祈る。

 

 

──名言は先生……と言っても、反面教師の方だけどね。