梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。

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ガチめで死にたい人向けの手記

 

「何があっても人のために生きて、苦しみから逃げずに耐え、人のために全てを捧げる人が一番偉い」という考えで僕は二十数年生きてきた。そうしてきた。いつも周りのために。

周りを喜ばしたり周りの苦しみを和らげることだけのために生きてきた。仕事もプライベードも何もかも。
自分がやることなすこと全て誰かのため。それが生きる理由だった。
お金も、肉体も心も時間も、枯渇して自分がどうなろうと、それが自分の存在意義で、それができなくなったら粗大ゴミと同じと思ってた。

そして実際に、その自称粗大ゴミになってしまう時が訪れた。物理的に解決法の存在しない肉体的苦痛により。

 

自分の価値を見失って、肉体的にも精神的にも一番死に近づいた。

肉体的苦痛が理性を超え、この状態が続くなら…と死に向かう経験をしたんだけど、その時に、全ての本質を見た。

 

「この国で『生きる為だけ』なら、障害年金でも生活保護でも居候でも囲いでもヒモでもなんでもいいし、物理的に逃げられることは全部逃げていいし、自分のことを最優先にしていい…いや、そう考えなければならない」という、真逆の考えが、本質。


要は、学校も仕事も、苦しんで死にたくなるくらいならマジで行かんでいいし、一家心中するくらいなら破産して家庭も捨てていい。
イヤなことを我慢して苦しむ理由が何もない。
世の全ての経済(社会)活動は茶番だから。

どういうことかと言うと、
近未来的な便利さに加えて、好き放題に屠殺や過剰輸入し、東京ドーム4杯分(※)とも言われるほどの量の食べられる食料(食品ロス)を、毎年毎年捨てる日本なのに、大勢の自殺者はなかなか減らない。
※2000万人が一年間生きてける量。これを捨てるための土地も必要になり、当然、人と金も動く。

そして近年の世界各地で起こってる内戦における、年間の民間人死傷者より圧倒的に多く(数百倍)の日本国民が自殺してる。

自殺は、死後24時間以内に発見されず遺書もない場合は変死扱い。年間の変死者数は十数万人にもなる。このうちの何割かが自殺だそうな。
よく取り沙汰される「年間自殺者3万人」で社会問題化してるけど、実際は10万人を上回るとも。(諸説あり)

 

具体的な数はともかく、世界トップクラスの先進国で、生きる事に絶望してる人がそんなにたくさん居る理由を考えれば、もう人間にとって何が不要で必要か、察しはつく。

大きな川の濁流には逆らえないだけで、その流れ自体は明らかに破滅の滝壺に向かってる。
だから誰に施しを受けてでも好きに生きろってこと。悠々自適でいい。
死にたみで苦しむなってこと。

 

じゃあ何をしてどう生きればいいのか、

何もしないなんてクズだ、と自己卑下する人も居るかもしれない。


自分のできること・したいことを、したいだけ、やればいい。

 

「人の役に立つ」なんて概念は相対的でしかない。


君がただ存在してるだけで不愉快に思う人も居れば、涙を浮かべて感謝する人も居る。
どんな善行を重ねても敵視してくる奴も居れば、重罪を犯しても味方してくれる人も居る。

生きるためには消費するけど、消費があるから生産がある。需要があるから供給がある。
だから、できる人ができることをしたいだけする。それが全て。

 

生きてるだけで服を着るしご飯を食べるし住むとこも要る。

生きてるだけで消費する。その消費のためのお金の出どころがどうあれ、消費行動そのものが経済を動かしている。

自分で働いて稼いだ金を使わず貯め込むことのほうが経済にとってマイナス。

金は天下の回りもの、なんだよ。常に巡ってこそ。


まだ使える物がどんどん捨てられ、国土は狭いのに空いた建造物は放置され、新しくどんどん建てられていく。

便利さ豊かさゆえに肉体は退化し、それでも飽き足らずに、時に体を壊し、時に心を擦り減らし、時に命を捨て、さらなる豊かさを求めて競争を続ける。
一体、人も社会も、何を目指してるのか。どこに向かってるのか。

やっと最近、自殺者数が減少傾向にあるみたいだけど、それでも先進国において若者の自殺率ダントツ。
主要先進国の中でそんな国はない。

 

希望がない、生きる意味がわからない、病苦、経済苦、突発的……自殺の理由は色々あるけど、どの理由も、ほとんどの原因はこの「本質を見失った人の集まり=社会」にある。

 

「競争に勝てば豊かになり、必ず幸せになれる」なんて、幻想だと気付いてないなら、もはや知的生命体とは呼べない。

人間の経済競争は全て遊び。お楽しみ。
決して命の生存競争とは違う

まず命の価値があって、互いの存在を喜び合って、初めて競争の楽しさが成立する。
スポーツマンシップと同じ。


かつて人類が夢見た未来にはもう到達してる。
夜でも明るくて、空も飛べて、離れた人と顔を見ながら話せる。奇跡。

なのにその挙げ句に、命に関わらない理由で同種の個体を攻撃(口撃)するバカな生き物に成り下がった人間。

生物の中でも相当アホな部類なんじゃないかな。


現代人は、いつからか、生まれながらに刷り込みと洗脳の連鎖で、偏った幸せの定義を予め作られてる。親も、そのまた親も、ずーっと代々、社会的風潮と悲観的思想により。だから気付かない。気付けない。特に村八分特化の日本人。


本当は、個体の幸せも、種の保存の観点からも、ただ個体の存在をより良く存在させ続ける(愛する)ことに帰着する。
1秒スパンでも1万年スパンでも一緒。
で、他の種(動物・植物・資源)の均衡を保つこともそこに繋がる。
その意識的な努力こそ、知的生命体ならではの為せることなんじゃないかな。

 

だからと言って、
今日明日で大それた変革が起きてみんながそんな考えになるわけじゃなし、完全アウェイで真実を貫くのは難しい。メンタルやられる。もし守るべき存在が居たなら余計に無敵では居られないし。

寝て起きたら学校や仕事や家事育児があって、資本主義のこの国で「欲望を持ちたい」なら、濁流に飲まれるしかないのも真実。

ただの強がりや生半可な自己暗示で、バカでかい川の流れに一人で逆らっても、命や心がいくつあっても足りないから、無理しちゃダメ。


結局何が言いたいって、
『1にも2にも、自分自身の命心体そのものをまず自分で愛して、認めて、感じて、輝かせることだけ考えなよ』
ってこと。

 

前フリ長いし、うざいと思うけど、こんだけ書かないと、いやこんだけ書いても事の重大さは伝わりきらないと思ってる。
これを読んでるあなたが、そこに存在することの絶対的な価値が。相対的じゃない、揺るがない、唯一無二、宇宙一の価値が。そして必然的奇跡が。
本当は、それだけを愛し合い、喜び合うだけでいいのに。大前提として。
他はおまけ。

 

「視点により変化する」=相対的なことで欲を満たして幸せになろうとしても、ザル。すかすか。

「永遠に変化し得ない」=絶対的な価値を知る必要がある。

それが、自分が自分として存在してること。

自我が自我を知覚すること。

 

揺るぎない無限の幸せや歓喜は、自己肯定によってのみ生まれる。

決して他者との差異へのこだわりでは埋められない満たされない。

これは宗教とかオカルトじゃなく、理屈で考えてもごくごく当然の話。

だから、みんな、自分が自分である奇跡と価値を知って、赤ちゃんだった頃のように自分の存在そのものを愛してほしい。

 

世が「希少=価値」というなら、これを読んでるあなたは宇宙一の絶対的価値があるし、それはつまり全人類が称賛すべきことなんだから。

たとえクローンが居ても、あなたの自我は確かに唯一。

周囲の、いち生物のいち人間からのあなたへの偏った酷評や口撃なんて、なんの意味もないしなんの価値もないしなんの為にもならない、ちっぽけな戯言だから。

 

 

 

……最後に、僕はステータス的には最底辺クズな境遇だけど、人の話を含むあらゆる情報というのは、誰が言ったかとか、説得力や信憑性が問題なんじゃなく、真実かどうかを自分で追求することが最重要なんだ、ということだけ強調したい。

 


…ここまで読んだ人は、ここまで読んだという事実により、相当真面目で物好きなんだと思う。

そして、本当に苦しんでるんだと思う。

笑うことや楽しいことはあっても、黒い塊の隠しどころを探る、優しい人なんだと思う。

そんなあなたを僕は大好きだし、何があってもその存在を肯定する。ただそこに居るというだけで、心から感謝する。


マイノリティで、真実を探求する、そんなあなたを、心から讃えます。

 

 

読破お疲れ様。

どうか、あなたの苦しみが少しでも緩和されますように。