梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。

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リンチ白書

2016年10月12日16時半現在、最近ニュースになっている三重県津市の中学生リンチ事件(※事件は鈴鹿で起きた模様)を受けて、思うことがある。

なぜなら、十数年前の今日の16時半頃、三重在住の中学生だった自分もリンチを受けていたから。
刑事事件になり、民事でも争った。

これを書く理由としては、同情を買うとかではなく、単純に社会問題の一つとして、自分が体験したことをありのまま書くことで、誰かの考えるきっかけにでもなればという単純なもの。

問題の根は、深いと感じる。

 

───10月、文化祭の準備が忙しくなってくる時期だった。中学生活最後の文化祭ということもあって、周りはけっこう意欲的で、ほぼ毎日居残りをし、クラス一丸となって準備を進めてた。

かくいう僕は、中学二年生くらいから団体行動に疑問を持っていて、とても苦手で、ほとんどいつも教室に居なかった。
「死んでください」という手紙をよく貰ったりもしたし、持病で休みがちだったのも大きいかもしれないけど、それ以上に、漠然と「学校」が疑問だった。

ただ、窃盗や深夜徘徊をすることは一度もなかったし、「キー線で直結」とかもしたことなかったし、ケンカも小学校低学年くらいからした記憶がない。
窓ガラスを割って回ったこともないし、いわゆる不良とは違った。

見かけは金髪のロン毛で、毎日学校近くの河原で朝から放課後までギター弾いたりしてたけど、それは全部一人でやってた。一人が心地よかったし、誰に見せるでも聴かせるでもなし、目立ちたいとか社会に刃向かうとかいう意識もなし、自分がそうしたいからしていた。

それを「よく思わない人達」は一定数居て、恐らく典型的な「群れる不良達」には、かなり目の敵にされてた気がする。

勉強はというと、そこまで嫌いではなく、むしろ知識を得ることは好きなほうで、授業さえちゃんと聞いてればテストでは満点近く取れるから、なぜみんなが塾に通うのか不思議で仕方なかった。(結果的には、社会で生きる上で正しいのは周りだった)

僕はひたすら「一人ひとり違う人間が同じ場所で同じことを同じペースで強制的に学ばされること」が疑問で、その疑問を明確に晴らしてくれる大人が誰も居なかった。
「そういうものだから」で片付けられることが苦痛で、周りにそういう大人しか居ないことが何より自分のやる気や協調性を削ぐ理由だった。

そんな自分でも「登校はしてるのに教室に一度も顔を見せない日々」を一年以上も続けてると、さすがにこのままではいけないという気持ちが生じる。

「最後の文化祭くらい、みんなと協力してみようかな」

そう思い直し、形から入ろうと、金髪ロン毛を黒髪ショートにした。


10月12日の放課後のこと。

少し肌寒くなって、長袖カッターシャツの生徒と学ラン・セーラー服の生徒が混ざる。
僕は長袖カッターシャツを着ていた。この時、学ランを着ていれば良かったと、後に悔やむことになる。

いつものように文化祭の準備を進めていて、そこそこクラスメイトとも打ち解けられたと感じ始めていた頃、学校でも一際目立つ不良グループに呼び出された。

「キョージ(仮名)くんが近くの工場横の空き地に来いって」

僕の教室まで来てそう言ったのは、不良グループのパシリ的ポジションの子。

特にキョージの恨みを買うようなことをした覚えはなかったけど、僕はいつも一人が好きなのに、普段から周りにそのグループと同一視されてることがとても不快で、断るとしつこく絡まれそうだったから、呼び出しに応じることにした。

文化祭の準備を抜けて、下駄箱で靴を履いて、校門の方に向かうと、グループのうち数人が自転車に乗りながら、歩く僕に近づいてくる。周りを蛇行する。ざっと6人くらいかな。後にどこからか増えて8人ほどになる。その中には僕が「友達」と思ってた子も居た。

「なんか用?」

と聞いても全員無視。いつもはバカデカい声でハシャいでふざけてるようなグループが、黙って僕一人を囲んで蛇行しながら、駄弁ったりニヤニヤしてる。

彼らの服装は、不良と言えばおなじみ、厚手の短ラン・中ラン・長ランにボンタン・ドカン。いわゆる変形。
自転車のハンドルも、ひん曲がったカマハンや鬼ハン。いわゆる変形。

不気味な雰囲気で、それなりにこの後起こることをなんとなく予想できたけど、流れのまま、付近の工場横の空き地に向かう。

「で、なんか用?」

何度か聞くも、誰も答えない。

空き地に着いても、誰も何も言わず、自転車でうろうろしたり、その辺に座り込んだり。用がないなら戻ろうかと思ったら、僕の携帯が鳴った。彼女からのメールだった。
歪んだ中学生の自分にも彼女が居て、いま思えば毎日歯が浮くような、青くさいメールのやり取りをしていた。
そんな彼女と、唯一約束していたことがある。
暴力を振るわないこと。
そうでなくても僕は痛いのも嫌いだし、人に危害を加えるのも耐えられないから、この約束は、守るという意識がなくても守られ続けているものだった。

なんだかハッキリしない不良グループをよそに、ちょっと工場の外壁にもたれて座って、大好きな彼女からのメールに浮かれて返信していた。

と、そこに、キョージがゆっくり近づいてくる。

「まぁ、立てや」

メールの返信途中だったけど、やっと彼が言葉を発したことに興味が湧いて、携帯をポケットにしまい、立ち上がろうした僕の顔面をキョージが思いきり蹴り飛ばした。

衝撃で、また壁にもたれる形で尻もちをつく。驚いて言葉も出ない。不意打ちに慌ててまた立ち上がろうとするも、座る僕の目の前、50cmほどの距離で立つキョージが、二度三度と顔を蹴ってくる。

蹴るのをやめて、少し離れていったので、その間に立ち上がる。

この時点で、若気の至りから「逃げる」という選択肢がなかった。だけど、頭の固い僕は、彼女との「暴力を振るわない約束」があるので、やり返すことも考えなかった。
そして、正直ケンカなんて生まれて数回しかしたことがないから、ガードの知識もない。

蹴られた痛みも引かないまま、不良グループの中の別の一人、トキヤ(仮名)がやってきて、顔面に右ストレートを喰らわしてきた。

サンドバッグになってや」

その一言を皮切りに、キョージとトキヤの二人から、連打、連打、連打……主に顔、そして腹や胸に殴打の嵐。
鼻血が噴き出て、口の中もグチャグチャで、鉄の味が気持ち悪くなってきた。

その中で、キョージが両手で僕の頭を抱えながら勢いつけて、顔面に膝蹴りを喰らわせた。
これが一番ダメージが大きく、鼻骨もろとも頬骨が真横一直線に割れ、陥没し、十数年後にも首や背中に後遺症を残すこととなった一撃だと思う。

トキヤ「おいおい手に血が付いたよきったねぇな、へへへ」

そりゃお前らが殴るからだよ、と思いつつも痛みで言葉も出ない。いや、たぶん言わなくて良かった。
他の数人は、空き地の、ベンチのようなとこに並んで座り、僕の様子を「鑑賞」している。
僕がやり返そうもんなら、全員で袋叩きだったんだろう。

「俺らがやったらお前らもやっていいよ」

どちらが誰に言ったのかはわからない。
この辺りから、痛みで時系列の記憶が曖昧。

 

口と鼻を押さえる手の隙間から血が止まらない。あまりの痛みに悶絶していると、キョージが、どこからか太さ10cm長さ80cmくらいの角材を持ってきた。
僕らが集まっていた工場というのが、恐らく製材工場だったので、そこら中にそういった角材が転がってたんだろう。たぶん。

そう、彼の「野球ごっこ」が始まる。

鼻骨や頬が割れてるので、涙が止まらず、眼窩にもダメージがあるようで目も痛く、あまり見えない。
鼻と口から血が止まらなくて、息がうまくできない。ぽたぽたというレベルじゃない。
長袖の白かったカッターシャツは、前側は真っ赤に染まってた。
学ランを着てれば、もう少し体へのダメージは軽減できたのに、災難だ。

そんな僕に対して、有名なバッターの名前を叫びながら、何度も、何度も、角材をフルスイングしてくる。

さすがにそれを全て、もろに顔や体に受けるとヤバいと思い、腕でガードするんだけれど、そもそも角材なんて腕でガードするものじゃないから、みるみるうちに手の甲や腕が内出血起こして、パンっパンに腫れて、指と指の隙間が少なくなってドラ○もんの手みたいになった。
人間の手ってこんなに丸くなるんだ、と後から思った。

 

野球ごっこに飽きたのか、角材をトキヤに渡し、渡された彼はそれを顔に投げつけてきて、笑顔で、

「めっちゃ血出てるよ〜」

と楽しそうに笑っていた。

そこから、殴打で壁に打ち付けられ、ぶつかった反動で戻ってきた体に飛び蹴りを何度か受けて、僕は空き地の草むらに倒れ込んだ。

そろそろ痛みで立ち上がれなかった。この段階で、

(あぁ、殺されるなこりゃ……)

と思い始めていた。だけどまだ、いやそんなはずはないと、心のどこかでこのリンチは終わると、思っていた。
動かなくなった僕を見て、キョージが何か言う。

「人の女に手出しやがって」

はてさて、なんのことやら、と思った。が、薄れる意識の中で少し考えてわかった。

キョージが付き合ってる彼女が、僕のクラスに居た。文化祭の準備中に、その彼女が、

「キョージくんが見当たらない」

と言ってたので、少しの親切心で校内を探してあげてた。
校舎の2階のベランダから、外の駐輪場に居るキョージを見つけたので、その彼女を呼んであげた。

つまりその時の彼には、ベランダで、僕と、彼の彼女が並んで映ったわけだ。それを彼は「仲の良さを見せ付けられた」と思い「人の女に手を出した」と勘違いした。
とんでもない飛躍だ。
短い時間でそこまで考えた僕は、蚊の鳴くような声でその旨を伝えたけど、完全に思い込んで頭に血が上った彼には、届かない。

草むらに倒れ込んだ僕の顔を、執拗に蹴り続けてくる。顔を蹴られる音というのは存外大きいもので、何度も蹴られてると耳鳴りがする。

「おい、顔隠すなよ」

僕は無意識に腕で顔をガードしていた。そりゃ痛いからね。

今度は思いきり顔を踏みつけられた。
害虫を踏み潰すように何度も踏みつけたり、靴の裏に貼り付いたガムを岩に擦り付けるように、ぐりぐり、ぐりぐりと、体重をかけてくる。

ブチブチと耳のしわが千切れる音が聞こえる。
痛いし熱いしうるさいし、一番堪えた。

そして、時系列は定かではないけど、いつの間にかポケットから携帯が飛び出してたようで、それを見つけたグループのうちの数人がそれを拾い、勝手に中身を見られてるのが視界の端に映ってた。

忘れた頃にトキヤが口を出す。

「人の物を盗みやがって」

……これはまたわけがわからない。これに関してはなんの思い当たりもない。

よくよく聞くと、その日から1ヶ月ほど遡った体育祭の時に、トキヤのタバコが誰かにパクられたらしい。そして僕が誰も居ない校舎に入ってくのを見た奴が居る……と。

なるほど、確かに体育祭の日は、いつものことながら僕は途中から登校し、もう大会が始まってる中で、誰も居ない校舎に入っていき、体操服に着替えてた。

伏線を回収するようだけど、僕は絶対に人の物を盗んだりできないし、一度もしたことはない。人を意図的に苦しめることに嫌悪感を持っているから。
タバコくらい自分の小遣いで買う。(それもどうかと思う)

体育祭の頃はもうすでに、自分でも協調性を意識し始めていて、ちゃんと「少しでも行事に参加しよう」という意思のもと、登校し、着替え、グラウンドに向かった。それだけの話。

それがどう飛躍したのかしらないけど、窃盗犯の濡れ衣を着せられ、半殺しにされ、死にかけの状態でそれを聞かされているんだ。

とりあえず、またその旨を伝えてみたけど、当然彼らは信用しないし、最早聞く耳すら持ってない。

目の前に倒れてる僕を嬲る火に、油を注いだだけだった。

実際には、体も相当ダメージを受けていたようで、本当に動くのがままならないくらい痛かった。
何も動けずに居ると、二人がヒソヒソと話している。

「さすがに玉を潰すのはマズいやろ」
「知るか、人の女に手出す奴にはそれくらいせな」

(えぇ〜……たぶん今受けてるダメージで睾丸なんか潰されたら死ぬなぁ)

と冷静に考えていた。

要は、勘違いと濡れ衣で僕は殺されるわけか。そう思うと、悔しいし、悲しいし、初めてここで死が怖くなった。
死にたくないと思った。
彼女が居るからとか家族が悲しむからとか、そんなことまで考える余裕はなかったけど、ただ生存本能というものを感じた瞬間だった。

また蚊の鳴くような声で、今度は許しを乞うていた。誤解を解こうとすると更に怒りを買うなら、もう謝るしかない。
とても惨めだった。どうして悪くない自分が謝っているのか。でも、もう反撃する力も逃げる力もない自分にできることは、ただ草むらに血だらけで倒れながら、ニヤつく彼らの足を見て、

「すみません、ごめんなさい」

と言い続けるだけだった。
そんな中、別の生徒も、少し離れたところで、他の奴らに暴行を受け始めていた。
彼らにとって「祭り」だったんだろう。

そしてまさに、僕の急所が潰されようとした時に、

「ゴルァ!貴様らそこで何やっとんじゃ!ケンカすな!」

と、どこからか怒号が聞こえてきた。
恐らく工場の従業員の方だろうと思う。

別の子が暴行を受ける音を聞いて、注意しにきたのかもしれない。
その怒号を聞いて不良達は一斉に逃げた。
工場のおじさん、鶴の一声、救世主だ。
そして程なくしてクラスメイトが駆け付けてきてくれ、僕は自宅に無事戻り、病院、警察へ行った。

病院を数件回り、全身打撲と鼻骨・上顎骨骨折陥没と診断され、即日、顔面の手術・入院となり、全治半年のケガだった。さらにその半年の間に、胸骨や肋骨への外傷により肺気胸になり、空気が漏れ続け、肺が潰れると死亡……のような状況にも陥ったけど、なんとか一命を取り留めた。

入院中、刑事さんに聞かされた話で、キョージは「血だらけで倒れてる彼を見て怖くなった」とか供述してたそうな。おもしろい奴だ。

そうそう、実はこの事件の発端は彼らの勘違いと濡れ衣以前に、それを焚きつけたリーダー格の奴によって起こされた事件だともわかった。でもそいつは罪にはならない。

現場検証では血痕のついた角材も見つかり、カッターシャツも証拠になり、その他の目撃証言も取れたおかげで起訴された。

が、残念ながら主犯の二人は、15歳に至っておらず、少年法が適用された。
キョージは保護観察処分、トキヤは少年鑑別所に1年、という結果になった。

民事訴訟では「一発もやり返さなかったこと」がとても重要だったようで、争うこともなくすぐ判決が出た。

けど、後遺症についての誓約などはなかったから、その後かかる医療費や交通費、仕事を休む親の給与分、高校進学・入学への支障、その後の人生への支障を考慮すると、当時の慰謝料や損害賠償のみでは到底補いきれるものではなかった。

 

僕はこの件で、暴力には暴力でしか対抗できないことを知り、それをしなければただ殺されるだけということを身を以て知った。

そして、人の集まりの中で、敢えて違う自分で居ようとすることで、必然的にリスクを背負うことも。

そのリスクを背負ってでも、個性を殺さない、多様性を許容することが勇気で、必要なことだとも。

 


──本当は、もっと泥々した部分もあるし、医療に関する苛立ちみたいなこともあったけど、掻い摘んでざっと書いたこの一件だけでも、様々な問題が浮かび上がると思う。

家庭の教育、学校の教育、暴力の是非、強さと弱さ、いじめ、思春期、精神疾患人格障害、命や健康の価値、仲間と友達……その一つ一つに言及すると、それはそれで何冊も本が書けそうなほどの量になってしまう。


僕は、今さら同情を買いたいとも思わないし、過去を悔やんだりしないけど、今になって思うのは、加害者の彼らも、実は被害者なんだということ。

彼らがそういう人間になってしまったということは、先天性の脳障害でもない限り、教育の欠落によるもの。愛情の欠乏によるもの。
生まれつきのサイコパスも極めて少ない。
家庭環境や、周りの人間関係によって、歪む。

人は、自分の存在を自分でちゃんと肯定できていれば、絶対に人を苦しめようとしない。
その自己肯定感はどうやって養われるかと言えば、結局は「生まれてから愛され続けて育つ」の他にない。

でも親子や家族が向き合えなかったり、そもそも家族が居なければそれはできない。社会全体で一人ひとりを愛するしかない。
家族が向き合えない理由は、仕事が忙しかったり育児放棄だったり様々だと思うけど、突き詰め出すと、雇用や職業・労働環境の問題や、親の人格や精神面の問題にも繋がる。
自己肯定感の欠如は、全ての社会問題に繋がる。

人を大切にしない、心を軽視する、ということは、回り回ってどこかで歪んだ人間を生み出して犯罪に走らせ、そこには必ず被害者が存在する、もしくは自分が被害者になり得るという意識を、もっともっと一人ひとりが持てば、犯罪は減る。

自分は罪を犯さない、ではなくて、犯罪を減らすため・自分が被害者にならないために、人を大切にしようと心がけられる人が、もっともっと増えたらいいなと、強く思う。


2016年10月12日現在、三重県中学生リンチ事件の被害者の子は、2時間に渡る暴行により意識不明の重体だそう。
僕の時は1時間足らずで全治半年だったけど、あれが2倍の長さだったら……と考えただけで、恐ろしい。

被害者の子には、目を覚ましてほしいし、生きながらえてほしい。

追記:同月23日に、運ばれた病院で亡くなられたとのこと。心より…お悔やみ申し上げます。


仮に加害者らの動機になった「知人をいじめてたから」が真実だったとしても、人が人を苦しめていい理由なんてない。
そのいじめた罪は、背負って生きてほしい。

極論、大事な人を殺されても、自分が犯人を殺していい理由にはならない。
正当防衛の殺人以外の殺人はエゴでしかない。理性があるうちは、そう考えられるのが人間の知性だと思うから。
命の生存競争以外で、同種を傷付けようとする愚かさを、連鎖させない意志が、今の時代には必要なのかもしれないと思う。

 

 

余談として、僕へ加害した主犯の二人は、現在は幸せにしてるそうな。

もう誰も傷付けないでほしい。