梵我一如の先

恥と痛みは誰が為に。

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どうして人は傷付くのか

 

 

‪何をどう反論されようが、精神における“傷付く原因”(理由ではない)ってのは、100%傷付く本人にある。‬

 

‪「傷付いた人」の行く先は暴力と加害。

しかも被害者ぶった加害者という、一番始末に負えないパターン。

要はクレーマーとメンヘラ。


‪傷付くかどうかは100%自由なのに、わざわざその対象に執着して「傷付いた傷付いた」と連呼し続ける人まで居る。

 

‪どうして傷付くのかは、自己肯定感を養えなかった教育ミス。‬
‪だから本人に責任はない。‬
‪ゆえに、タチが悪い。‬

 

傷付く人や不満が多い人は、自分自身をまるで愛せてない。

 

自分を愛せてないと、何を手に入れても何を与えられても、どんなに優しくされてもどんなに愛されても、決して満たされることがない。

 

その「満たされなさ」が精神の痛みになって「傷付く」ことになる。

そもそも自分が自分を否定してるから、人に指でつつかれただけで致命傷を負う。

 

その弱さを隠すために、自分を大きく見せよう、強く見せようとする。

 

人への接し方が横柄な割に粘着質な人ってけっこう居るけど、そういう人ほど臆病で、孤独で、ビクビクして、権力や肩書きというステータスにこだわって縋って利用して、常にマウントを取ろうとする。

 

そういう人は、自分を愛せてないことを認めない限り、一生、人に求めて人を責めて攻撃して地団駄踏んで、根無し草で不幸を抱えて生きることになる。

 

忘れてしまった「自分という存在の尊さ」に気付き直すのは、とても難しいことだけど、揺るがない幸福感を得るためには最善かつマストな方法なんだ。

 

 

糖質制限に向いてない人

 

新年から、例に洩れず調べ物をしていて、こういう記事を見つけた。


【「糖質制限」論争に幕?一流医学誌に衝撃論文】
https://www.google.co.jp/amp/toyokeizai.net/articles/amp/190605


‪「長生きした人は脂質を多く摂ってた」‬
という研究結果。

 

でも、「長生きしてた人が脂質を多く摂ってた」ことと「脂質を多く摂れば長生きする」ってのは全然違う意味。

脂質の代謝能力は人によって違うから、僕のように完全糖質制限でとんでもなく体調崩す人も居る。
高タンパク+高脂肪でしっかりカロリーを摂ってて、運動もしっかりしてても。


‪例えば、赤ちゃんのお母さんが脂質を過剰に摂取してたら、赤ちゃんの乳児湿疹が超ひどくなり、脂質を完全に断ったら治ったってケースもある。(再び摂取したら再発)‬
つまり、脂質によって母乳になんらかの影響があったと考えられる。

乳製品や種実類は変化が顕著。


‪この代謝異常が、日本人特有のものなのか、抗生剤使用による腸内細菌の菌交代によるものか、はたまた、脂肪酸は運動によってエネルギーとして消費されることから慢性的な運動不足による代謝低下なのかは、まだ情報が少なくてハッキリわからない。‬


‪ただ、相対的に考えると、運動習慣が全く無い人で、いくら脂質を摂っても体調を崩さないみたいな人も居ると思うから、人種や運動習慣の有無は、脂質による体調不良とは無関係だと思う。‬


‪太る⇔痩せる に関しては多少運動は関係あるけど、でもいくら食べても太らないギャル曽根さんや、活動的かつ少食でも太ってしまうメイプル超合金の安藤なつさんを考えると、運動習慣は直接的な関係がない気もする。‬

‪となると、やっぱり各自の保有菌の違いの可能性が高い。‬

ギャル曽根さんの腸内細菌の半分はビフィズス菌らしい。(恐らくB-3という種類)

あと「1日に青汁1杯だけで20年生きてる女性」が居て、その人の腸内には、牛みたいに植物からアミノ酸を生み出せる菌が多いらしい。一般人の100倍だとか。
つまり草食動物ってことだ。

‪この菌は「クロストリジウム」というんだけど、実は乳児の腸内細菌は、クロストリジウム・ディフィシルという菌が80%を占める。‬
‪赤ちゃんも完全に草食動物レベル。‬

ただ、大人の腸内にC・ディフィシルが増えると大腸炎になるのが現在の常識で、乳児にはその菌が産生するトキシンA・Bっていう毒素の受容体がないから発症しないんだ、と言われてる。

‪じゃあ、前述の青汁女性には、その受容体がないのか?‬
‪そんなわけないんだよね。大人だし。その方は高齢だし。‬
‪これまで色んな毒素を感受してるはずだから。‬

別の菌に感染・感作したことによって、二次的に増えると考えた方が辻褄が合うというか、自然なんだよね。

 

それに、C・ディフィシルが多いと、制御性T細胞が増殖してアレルギーを抑制するという、マウスでの実験結果もある。

これについては、クレブシエラ菌でも同じような実験があるから、一概にはいえないんだけど。

 

‪乳児のC・ディフィシル保有率が80%、青汁女性が約10%、一般人が0.1%だから、ここから察するに、母乳から離乳食に移行する時の食事によって動物性たんぱくや植物油、動物性脂肪に順応していくことと、病気などで抗生物質を使うこと、それらに従って、菌のバランスが変わっていくんじゃないかと。‬
‪そして順応できなかった場合が「アレルギー」なんじゃないかと。‬

‪もちろん、呼吸によっても菌やウイルスは体内に侵入するんだけど、腸内は消化器だから、やっぱり経口摂取したものに大きく左右されるはずなんだよね。‬

‪あとは、タバコによって脂肪酸が酸化して炎症を起こしやすくなるとかもあるけど、ここでは割愛。‬


‪まとめると「糖質を食べたら食べただけ太りまっせ」って人が糖質制限に向いていて、「炭水化物や糖分を摂取しまくってもそんなに体型が変わらず、脂質を摂ると肌や体調が悪くなる」って人は、糖質制限やるなら慎重にやった方がいい。‬

‪ただ、炭水化物や糖分を食べまくっても太らない人は、食べ過ぎても変化がないから気付かなくて、糖尿になりやすいだろうからそこは運動量が物を言うよ。‬
‪筋トレでブドウ糖消費しないと、一直線。‬
‪ご注意を。‬

 

 

少し早めに総括

 

 

今年も終わりだから、少し早めに1年を総括。

ちゃんと書くのめんどうだから雑記だけど、珍しくPCブラウザから。


自分なりに、前向きを維持しながらの闘病の1年だった。

2010年くらいから人並みに生活できなくなって、多少は治癒は進んでたけど、ここ2年ほどは一進一退でほとんど大きな変化のない日々が続いてた。

「こんなもんかな」って中途半端な気持ちだった。

 

で、今年の5月くらいに一念発起して方向転換。

 

6月に激悪化。歩くのも難しいくらいに。

そこから、原因不明と言われ続けてる自分の症状の原因を、今まで以上に真剣に探る日々が始まった。

 

1ヶ月くらい水だけで生活してた時もあるし、今もまだ食べられない物のほうが圧倒的に多い。

食べたら色んなとこの皮膚なくなるし、呼吸困難起きるし。

 

夏~秋にかけて、何度か意識障害も起こしてて、2018年迎えられるかなぁとか考えたりしてた。

それくらい、中途半端に痛みや苦しさを感じながら生きるくらいなら、一か八かで色々と試して、前に進んで、それで死んだら本望だと思って本気で生きた年だった。

 

そんなこんなで、今はなんとか2018年を迎えられそうな状態で安堵してる。

 

絶食や食事制限で60kgから45kg減った体重も、52kgまで戻った。(身長173cm)

外に出て、ジョギング30分やジャンプロープ1000回とかもできるようになった。

ワイドグリップの懸垂もできるようになった。

 

肝心の症状も、少し回復の兆しが見えて、不明と言われてた原因にも辿り着きかけてる。

 

幸い、両親が協力的な家庭だから、その偉大なお力を借りながら生かしてもらい、たくさんの書物や新旧の医学論文、ネット情報など、毎日毎日自分の頭に知識を詰め込みまくり、自分の体で実験し、経過を観察し……をひたすら繰り返して、やっとここまで来たかって感じ。

 

2018年は、症状をもっと回復させる。今の自分ならそれができる。

そんな自信を持った状態の年の瀬を迎えられることが幸せ。

 

そして、来年も、周りの人達の幸せそうな顔が見たい。

自分がその一助になれたら良いけど、そこ度外視しても、いつも幸せでいてほしい。

苦しまないといけない人なんて、一人も居ないし、みんな幸せ感じて笑うために生きてるから。

 

 

余談

 

身体が一番エグかった夏に、何を思ったか、YouTubeに曲を上げ始めた。

たぶん、ストックしたままもし死んじゃったら、曲が報われないな~とか考えてたんだと思う。

おかげさまで、そんな危険な状況は脱したからその心配はなくなったんだけど、余裕があれば、たまに追加していこうと思う。

 

ツイッターで作り置きしてたアカウントの1つを専用アカにした。

https://twitter.com/TKHT_

 


「GET ID」 / Takahito zzZ

 

 

 


「WHITED ~眩しすぎた結果論~」 / Takahito zzZ

 

 

 


「HOSPITALIZATION」 / Takahito zzZ

 

 

再確認

 

 


‪こないだ、また体調の関係で死を予感してから、前の人格から今の人格に変わった時の感覚が強まった。‬

痛みや苦しみは嫌いだけど、死そのものに恐怖は抱いてないという感覚。

ただ、命は選ばれし資源=自分のリソースだから、それを無くすことに強烈なもったいなさと申し訳なさを感じる。

と同時に、それらの感情を掘り下げた時、やっぱり体にどんな事情があれ「自分が人に与えたいものやことのハードルを越えられない自分」には、悔しさや不甲斐なさを感じる。

究極的には自分は、金がなかろうが独りだろうが病気だろうが生きてようが死んでようが、どうでもいいんだけど。
……というか、自分が自分としてこの世に産まれて、生きて存在してる・存在したことそのものの価値や幸せ以上のことなんて存在しないから、気にもしないって言った方が正確かな。
これは全人類に共通することだからね。

そういう価値観だから、生きてる限り、自分の持てるもの全てを用いて、誰かの心を軽くするために命を使いたいってのが本音。

望まれたものだけを与えるのが愛でもなく、与えたいものだけを与えるばかりが愛でもないけど、最終的な捉え方は受動側に100%委ねられることを考えると、人のためってのは、結局は自分が主観で何をどれだけしたいのか、に尽きるから。

と言ってもそんな難しい話じゃなくて、

飴玉1個より、アソートパックあげたいよねっていう。

マックを奢るより、フルコース奢りたいよねっていう。

「ありがとう」は、優しい声で言いたいよねっていう。

「だいじょぶ?」より「がんばってるね」って言いたいっていう。

軽くあしらうより、顔を見て頷きたいねっていう。


引いては、人に何か「イイ経験」をしてもらいたいって欲が、昔から強いんだろうなと。

新しい知識を増やしたり、見たことのないものを見たり聞いたり、人間が人間として生きてる特権をたくさん使って、多種多様な感動や喜びの記憶を増やすのが、人間の本質だと思うから。

 

それを義務的に生きてきたのが前の人格なんだけども……。

 

 

そんなこんなを考えて──まだ、死ねないなって、再確認したのです。

苦しいのも痛いのも大嫌いだし、思うように日常生活送れないけどね。

 

それでも、生きてる限り、生きたいって、強く思うよ。

 

 

LGS

 

 

リーキーガットに否定的な記事が多い。
でも、完全糖質制限をしてほんの短期間で、たんぱく質全てに過剰反応してたちまち湿潤糜爛が起こって他の粘膜も荒れるようになって、浸出液で細菌感染を疑って抗生剤を使うと余計に悪化するのを考えると、過去の腸壁剥離が関係してるとしか考えられない。

 

 

血中に、アミノ酸まで分解されなかったたんぱく質が入れば当然毒素なわけで、抗原になるのは理解できる話。
ほんの数日で三大アレルゲンどころか、肉魚ですら瞬く間に皮疹や喘鳴を起こすようになった原因は、血中にそれらが大量に入った……としか言いようがない。

 

「無理なダイエット(糖質制限)をした女性が色素性湿疹になり、やめたら治り、しばしば再発するようになる」というケースが増えてるのはまさしくコレ。

「抗生剤で軽快してまた再発する」のは、免疫を司る腸内から血中に真菌類が漏れて、対立する菌が拮抗していて排除反応として炎症が起きているところを、その菌を一時的に抗生剤で不活性化させてるだけだからと考えると、全身にひどい炎症を起こしてる自分の場合は抗生剤で菌交代が起きて悪化したと考えれば、辻褄が合う。

 

IgE閾値が高くても反応が起きない人が居るのも、血中・粘膜にたんぱく質が侵入・曝露してるかどうかの違い。

食べ物に関しては、どこから侵入したか、と考えれば消化器系しかない。

 

ステロイドは直接の原因ではないけど、使い続けると表皮も粘膜も透過性亢進することを考えると、たんぱく質を体内に侵入させる一因にはなってるし、LGSがあるとしたら免疫抑制状態で腸内細菌叢が乱れた場合にカンジダ菌が全身に遊走・感染の危険もある。

ヘルペスやHPV、その他の感染症の危険性も増す。

 

ただ、ステロイド離脱とかいう症状や表現は正確ではなく、もともとの炎症をそれまでのランクのステロイド外用剤で抑えきれなくなっただけ。

二次的な悪化因子にはなるけど、悪化の根本原因ではない。

湿疹・炎症を抑えてしまうと、原因を見極めるための症状の変化がわからなくなるから、最初から使わないに越したことはないけど。

 

 

 

話を戻して、かつて過食して1ヶ月ほど下血したことと、胃下垂で痩せの大食いで糖質もたんぱく質も過剰摂取する傾向があったから、糖質制限前に、すでにある種の『LGS要素』は整ってたと考えられる。
糖新生のために消化不能な量のたんぱく質を摂り続けた結果、血中漏出が起こったと考えるのが妥当。

 

 

とりあえず、LGSという仮説の否定はいいとして、代案がほしいところ。
否定するだけなら子どもでもできる。


根本原因を追求する気もない巨大組織が、QOLを盾に対症療法で患者の人生を巧妙に搾取してリピーター増やしながら、誤診をしても医療ミスではないから罪にはならず、可能性を否定し放題。

直向きに真実を探求する側を全否定するって、闇深すぎ。

 

救命医療は必要だけど、あとのは本当にとてつもなく巨大な虚像だと感じる。

 

 

あなたの使命はどこにある

 

 

でんでんむしむしかたつむり〜

お〜まえ〜のし〜めい〜は〜……

 

 

 

はい、こんにちは。

 

 

 

‪まだネットがそんなに普及してないころ、それはもう僕も例に漏れず井の中の蛙で、仲間内で自分が一番アクションゲームがうまくて、その面白さを普及することに全精力を注いでた少年期だった。

 

日本中、世界中と簡単に繋がれて、相対的な自分の位置付けが簡単に明るみに出てしまうようになった昨今、あたかもその相対的な位置付けそのものが、自分の絶対的な価値であるかのような風潮は、とても危険だと感じる。

 

何もかもにランクが付けられる。

ゲームとか遊びだけじゃない。

年収も、学歴も、容姿も、健康も、人気も、器用さや運動能力、芸術までも。

そのトップランカーにならない限り人権が与えられないかのような、何も価値がないような、そんな厳しささえ感じるほどに、競うことが全ての人のライフワークになってしまっている時代。

 

一体、何人に勝って、誰の役に立って、何人のために生きれば合格なのか。ゴールは一体どこにあるのか。

 

そこに心からの幸せはあるのか。

 

 

 

───少年期、ただひたすら好きなことや面白いことに没頭して、そのフィールドで知らぬ間に先駆者になって、勝ち負けや優劣を超えて、最高のエンジョイを広めて普及させて共有してた。

 

あの感覚こそが、最高の人間味で、生きる喜びで、人類愛で、良き経済活動のサイクルなんじゃないかと、ずっと思ってる。

 

それは、誰もが、誰かに強制されるでもなく、誰かに望むでも与えるでも与えられるでもなく、自然な波動、自然な共鳴だったから。

 

誰も我慢してなかった。

負けても誰も責めなかった。

勝っても誰も偉ぶらなかった。

 

 

人の感情は必ず感染する。

良くも悪くも。

 

たった一人の「最高に楽しい」って感動は、必ずその周りに伝わる。

たった一人の「苦しい」が不幸の連鎖を起こす。

 

 

だから、何かに没頭して楽しめるのは、1つの才能だから、それができる人間を絶対に潰しちゃダメなんだ。

 

とことん1つのことを追求できる人、どこまでも可能性を模索できる人は、興味を持たせれば何をやらせても相当優秀な結果を出す。

 

 

井の中の蛙で良い。

人生で密接に関わる人間なんてそんな大勢居ない。

たぶん世界の74億人中、73億人には会うことさえないまま生涯を終える人がほとんどだと思う。

いくらネットやデジタルで世界と繋がってグローバルで可能性が無限だと言っても、人間の一生の時間は変わらなくて、できることが増えるほどに密度は薄くなるばかりなんだよ。

 

だから、自分の手が物理的に触れられるくらい近い環境や人達の中で、自分のありのままで生きていいんだよ。

 

自分は自分しか居ないという実感と、自分にしかできないことがあるという事実は、世界を相手にするより、よりミニマムでクローズドな環境で生きる方が遥かに見つけやすいから。

 

 

───ただ、大前提として、137億歳の宇宙の中で、あなたという存在はすでに唯一なんだってことだけは、いつも忘れずに居てほしいと、心から願う。

 

74億人は、誰もたった一人の人を必要とはしてないけど、74億人にとって74億人は必要だから。

 

「一人」が存在しないと、74億人も存在しない。

 

だから、大前提として「自分の使命は、自分として生きること」だというのは、全人類に忘れないでほしい。

 

ただ、そこに存在してるだけで、僕はあなたを抱き締めたい。老若男女問わず。

 

 

 

考えなくてもいいこと

 

 

考えなくてもいいこと、というか、幸せになるために考えるべきことって、1つしかなくて、他は全部どうでもいいこと。

 

 

他人と過去は変えられない、という言葉があるけど、もっと正確に言うと、自分も未来も変えられないんだよ。

 

自分が自分であることは、何をどうやったって変えられなくて、未来にタイムワープすることもできない。

この事実を理解して受け入れて第一歩目。

 

じゃあ考えるべきことは何か。

 

「いまこの瞬間の感情」

だけ。

 

「いまこの瞬間の感情」の「積み重ね」こそが「人生」だから。

 

……なんか以前のエントリーでも言った気がするけど、何回だって言う。

 

人生という物語がどこかに存在するんじゃなくて、自分がこの瞬間に感じてることが「即・人生」なん。

 

だから、悩んでるなら悩みの人生、怒ってるなら怒りの人生、苦しんでるなら苦しみの人生ってこと。

 

しかもその最悪な人生のうちのたった1秒たりとも、1億円払ったって一生取り返せない。

 

だから、どれだけ真剣に本気で「いまこの瞬間の感情」を、幸せに持ってく努力をするか、イヤなことからはちゃんと逃げて、自分が幸せを感じられる状態や環境にするか。

考えるべきことはそれだけ。

 

それが、自分の人生に責任を持つってこと。

 

自分を全力で幸せにしようとすることが、自分の人生に責任を持つということ。

 

苦しまないで。